生きぬくんだ、どんなことがあっても。
冒頭の激しい乱闘シーンから引きずり込む井筒監督のメッセージは
熱く愛に包まれていました。
舞台を京都から東京に移した、前作の続編、在日の兄妹
アンソンとキョンジャ一家の1974年の物語ですが、
同時に2人の父親ジンソンの青年時代1944年が描かれていて
なぜ彼らがここにいるのかというルーツに触れています。
日本軍の徴兵から逃れて斉州島から南洋のヤップ島に船で渡ったジンソンの
話が実話がベースだったこと。
それもこの作品のエグゼクティブ・プロデューサーの
李鳳宇さんのお父さんの体験だったことを知ったとき、
彼が設立したシネカノンそして『フラガール』などが日本の映画界にあたえた
パワー、そして脈々と引き継がれる命の連鎖、
メッセージの連鎖を考えさせられました。
”「我々はどこから来たのか?」をしっかり見つめないかぎり
「我々はどこへ行くのか?」という未来は描けない、歴史の再検証とか、
そういう難しい話ではなくて。むしろ
「なぜ自分は、今ここにいるんだらう?」という身近なレベルで構わない”
と李鳳宇さんは語っています。
ここで私のなぜを考えてみますと、やはり”操体法はどこから来たのか”
という問いかけが出てくるのです。
これに対しては操体法をまとめられた橋本敬三先生の歩んできた道の
ルーツ探し、追体験という事になるのですがこの話の続きは又次回、後日に!
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